A巡幸予定を変更した理由と実際のルート 明治11年 明治天皇 北陸 東海

表紙へ         明治天皇の明治11年巡幸(北陸道・東海道)

A巡幸(実際の全ルート) 更新:2020/11/17

明治天皇巡幸経路

資料:天皇の肖像(多木 浩二 著 岩波書店 P65)

※巡幸期間は資料によって異なっていることがあり、間違い又は変更があるのかも知れないので注意。


 悪天候に悩まされながらの北陸道巡幸をやっと終え、久方ぶりに

京都に立ち戻った時に、三重県でチフスが発生したとの緊急連絡が

入る。

 そのため京都から津・山田・伊勢神宮・桑名を経て東海道に向う予

定は急遽変更され、関ヶ原経由で岐阜を経て名古屋に出る事になった。

 結果、今回の巡幸は埼玉・群馬・長野・新潟・富山・石川・福井・滋賀・

京都・滋賀・岐阜・愛知・静岡を巡り、神奈川から汽車で東京に戻ったのは

出発から72日目であった。軍艦を使用しない唯一のルートであった。

文芸館エッセイessay 甲州街道を歩く 10
http://yoshida-culture.in.coocan.jp/bungessay12%20.htmから抜粋
1回目巡幸: 近畿・中国・九州巡幸 ちょん髷姿で軍艦に乗る。三重(伊勢神宮)→大阪→瀬戸内海沿岸各地→九州各地。明治維新後間まもなく、各地の旧士族の動静や経費の関係で、軍艦が使用された。
2回目巡幸: 奥羽巡幸 明治4年に散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)が太政官布告された。明治6年3月天皇も散髪を行った。奥羽巡行時は断髪姿で4頭だて馬車の巡行。宇都宮→日光→福島→仙台→盛岡→三戸→青森→函館→軍艦で東京へ。
3回目巡幸: 北陸・東海巡幸 板橋→熊谷→前橋→高崎→松井田→小諸→長野→高田→長岡→新潟→新発田→長岡→高田→富山→金沢→福井→米原→京都→岐阜→名古屋→静岡→小田原→東京 鳳輦(ほうれん)馬車を使用。
4回目巡幸: 山梨・三重・京都巡幸  府中→八王子→甲府→松本→木曾福島→中津→名古屋→伊勢神宮→京都大阪→神戸→軍艦で東京。
5回目巡幸: 山形・秋田・北海道巡幸   宇都宮→福島仙台→盛岡→三戸→八戸→青森→軍艦で小樽へ→札幌→室蘭→函館→青森→新城→黒石→弘前→碇ヶ関→秋田→新庄→酒田→新庄→山形→福島→宇都宮→東京へ。
6回目巡幸:
 山陽道巡幸 
 海路→山口→廣島→岡山 陸路→神戸→軍艦で東京へ。

 【北陸東海御巡幸供奉官員録御宿泊記の全容】及び変更資料

以下に、宿泊等行程表及び変更内容を官・民発行の資料により示す。

日程・ルートの変更の結果、今回の巡幸は明治11年8月30日から同年11月9日までとなった。

太陽暦の採用:明治5年(1872)11月9日 太政官布告第337号

太陰暦を廃し、太陽暦を採用することの詔書が発せられ交付された。 1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に

閏年をおくこと、1日を24時間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすること、が定められた。 

便利.COMから加工

北陸東海御巡幸供奉官員録並御宿泊記(表紙) 

【原本 筆者所蔵】

 

御輦の跡(表紙)   岐阜縣令文書(行程変更)

岐阜縣御巡幸誌(枠内は実際の日付を記載)

【行程等比較資料1】

表紙

北陸東海御巡幸供奉官員録並御宿泊記

 内務省御届 明治十一年八月廿六日

     玄水舎 発行 金五錢                       

        大きさ:165mm×75mm

 ※供奉員(ぐぶいん)=御供の行列に加わる人

【行程等比較資料2】

表紙

御輦の跡(ごれんのあと)

   昭和十三年九月一日

    熊谷市役所 発行   非売品

        大きさ:153mm×222mm

 明治11年北陸東海兩道御巡幸について熊谷行在所を

含めて行程全体をまとめたもの

【行程等比較資料3】

岐阜縣令文書

  明治十一年十月廿日

    岐阜縣令

  行程変更を伝える文書(滋賀縣→岐阜縣→愛知縣)

【行程等比較資料4】

岐阜県史、大垣市史、関ヶ原町史他

【行程等比較資料5】

第一回明治天皇六大巡幸

    平成二十四年十月    霞会館 発行

【行程等比較資料6】

岐阜縣御巡幸誌  

   大正十四年六月十五日 発行  岐阜縣編纂

    @糸魚川から日程変更

    A京都から日程及び行程変更

MP-11 北陸東海兩道御巡幸御道筋宿驛御休泊記(東京→安中)

 

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(9/16←9/2 9/1←8/30)

MP-11 北陸東海兩道御巡幸御道筋宿驛御休泊記
参考:1里(り)=36丁(町ちょう)=3.9273km、1町=60間(けん)=109.09m
     1間=1.8182m 従って1里=1.8182m×60×36=3.9273km 
  ( 御休
  ○御泊

※実際の日程【御輦の跡(熊谷市役所)、第1回明治天皇六大巡幸(霞会館)】から

当初予定の日程 実際の日数(何日目)
1日目は当日の夜まで、2日目は翌日の朝からカウント
実際の日程
御發輦 8月30日朝 東京   8月30日朝
  ( 板橋  8月30日昼
     東京府埼玉縣ト界ナリ
  蕨      
一日 8月30日夜 ○浦和1日目県立学校(鳳翔閣) 8月30日夜 8月31日朝
  (  埼玉縣廰アリ
  大宮    
  上尾    
二日 8月31日夜 ○桶川2日目府川秀之助方 8月31日夜 9月1日朝 
  ( 鴻巣 
三日 9月1日夜 ○熊谷3日目竹井耕一郎方 9月1日夜 9月2日朝
  深谷   
  ( 本所→本庄に訂正 9月2日昼
     上武國界甘樂川アリ
四日 9月2日夜 ○新町4日目羈客所 9月2日夜 9月3日朝
     烏川アリ舟橋
  倉ヶ野   
  ( 高崎  9月3日昼
五日  六日
9月3日夜
9月4日夜
○前橋 

5日目生糸改会所(前橋)

御駐輦一日

6日目区務所(高崎)

9月3日夜 9月4日朝

9月4日昼前橋

9月4日夜高崎 9月5日朝高崎

  再 ( 高崎 9月5日昼高崎
     烏川碓氷川共ニ橋アリ
  板鼻   
  安中   

NP-12 同上(松井田→新井)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(9/16←9/2)

NP-12
七日 9月5日夜 ○松井田7日目警察署 9月5日夜 9月6日朝
  坂本  
     碓氷峠 上信國界
  ( 輕井澤 9月6日昼
  沓掛  
八日 9月6日夜 ○追分8日目土屋一三方 9月6日夜 9月7日朝
   左 中山道   右 北陸道
     淺間山見ユ
  ( 小諸 9月7日昼
     千曲川アリ
  田中  
九日 9月7日夜 ○上田9日目上田街小学校 9月7日夜 9月8日朝
  坂本  
  ( 下戸倉 9月8日昼
  屋代  
  藤ノ井  
  丹波島  
     犀川舟橋アリ 此所ヲ川中島ト云フ
十日 9月8日夜 ○長野 
10日目
善光寺別当大勧進坊舎@
9月8日夜 9月9日朝
十一日 9月9日夜  縣廰アリ 御駐輦一日

11日目善光寺別当大勧進坊舎A

9月9日昼 9月9日夜

9月10日朝

  新町  
  ( 牟禮 9月10日昼
  大古間  
  柏原  
     飯綱 黒姫 妙高ノ山々見ユ
  野尻  
     信越ノ界
十二日 9月10日夜 ○關川12日目大石新六郎方 9月10日夜 9月11日朝
  關山  
  ( 新井 9月11日昼

OP-13 同上(高田→新發田)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(10/1←9/17 9/16←9/2)

OP-13
十三日 9月11日夜 高田13日目高田学校 9月11日夜 9月12日朝
     春日山アリ
  直江  
  黒井  
  ( 潟町 9月12日昼
十四日 9月12日夜 柿崎14日目浄福寺❶往路 9月12日夜 9月13日朝
  鉢崎  
  (   
十五日 9月13日夜 柏崎15日目柏崎校❶往路 9月13日昼 9月13日夜

9月14日朝

  荒濱  
  椎谷  
  ( 石地 9月14日昼
十六日 9月14日夜 ○出雲崎16日目光照寺 9月14日夜 9月15日朝
     遥ニ佐渡見ユル
  山田  
  ( 寺泊 9月15日昼
十七日 9月15日夜 ○彌彦17日目五十嵐盛厚方 9月15日夜 9月16日朝
  竹野町  
  ( 赤塚 9月16日昼
  内野  
十八日 9月16日夜 ○新潟(宿泊は新発田)
18日目
新発田 白勢成煕方@
9月16日夜
十九日 二十日
9月17日夜
9月18日夜
 縣廰アリ 御駐輦二日

19日目新発田 白勢成煕方A

20日目新発田 白勢成煕方B

9月17日夜
9月18日夜 9月19日朝
  沼埀(タレ)  
     赤野川渡船塲
  ( 内島見 9月19日昼
二十一日9月19日夜 ○新發田21日目白勢成煕方C 9月19日夜 9月20日朝
     東京鎮臺分營アリ

PP-14 同上(水原→糸魚川)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(10/1←9/17)

PP-14
  ( 水原 9月20日昼
     赤野川渡船塲アリ
二十二日9月20日夜 ○新津22日目桂誉恕方 9月20日夜 9月21日朝
  ( 加茂 9月21日昼
二十三日9月21日夜 ○三條23日目東本願寺別院 9月21日夜 9月22日朝
     信濃川五十嵐川ヲ控ヘ
  ( 見附 9月22日昼
二十四日9月22日夜 ○長岡24日目表町校 9月22日夜 9月23日朝
     信濃川ヘ三大橋ヲ連架ス
  ( 宮本 9月23日昼
  小千谷  
     商買輻湊ノ地ナリ
  塚ノ山  
     頗ル平地ニテ馬車通ス
二十五日9月23日夜 柏崎25日目柏崎校❷復路 9月23日夜 9月24日朝
  (   
  鉢崎  
二十六日9月24日夜 柿崎26日目浄福寺❷復路 9月24日昼 9月24日夜

9月25日朝

  潟町  
  黒井  
  ( 直江津 9月25日昼
  高田  
  長濱  
  有間川  
二十七日9月25日夜 ○名立27日目名立寺 9月25日夜 9月26日朝
  ( 能生 9月26日昼
  梶屋敷  
二十八日9月26日夜 ○糸魚川28日目池原平十郎方@ 9月26日夜 9月27日朝
  御駐輦一日追加
29日目
池原平十郎方A

【旧武士の不穏な動きの恐れのため様子を見たと伝わる。】

この時点で予定から1日遅れ
9月27日夜 9月28日朝
【糸魚川市観光協会2019/12/25回答】当時(明治11年)は、明治維新により天皇親政体制が確立されたものの、まだその体制に馴染めず、江戸時代の武家たちによる反乱・襲撃の恐れがありました。そのため、安全上の都合、明治天皇は糸魚川に1日多く滞在することとなりました。〜〜〜
糸魚川ジオパークおじさんのブログ より
 糸魚川で一泊の予定が急遽二泊ということになり大変です。
 一説には親不知近辺に旧金沢藩の藩士の不穏な動きがあるとの噂があり、山路を大薙ぎをしました。この年の五月には紀尾井坂事件があり、大久保利通が旧金沢藩士により殺害されています。それでなくても連日の雨で一休みが必要であったのでしょう。〜〜〜
     姫川渡船アリ

QP-15 同上(海→金澤)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(10/20←10/2 10/1←9/17)

QP-15
   
   
  ( 外波 9月28日昼
     親不知ト云
  市振  
     越後越中國界ニ境川アリ
二十九日9月27日夜 ○泊30日目伊東祐明方 9月28日夜 9月29日朝
     小川仮橋
  船見  
     上流ニ刎橋アリ
  浦山  
  ( 三日市 9月29日昼
     片貝川橋
三十日9月28日夜 ○魚津31日目寺崎与一郎方 9月29日夜 9月30日朝
  滑川  
  ( 水橋 9月30日昼
  町新庄  
三十一日9月29日夜 ○富山32日目中田清兵衛方 9月30日夜 10月1日朝
     神通川舟橋アリ
  小杉  
  大門  
  ( 高岡 10月1日昼
     千保川アリ
  四十萬  
三十二日9月30日夜 ○今石動33日目道林寺 10月1日夜 10月2日朝
     越中加賀國界
  竹ノ橋  
  ( 津幡 10月2日昼
  森下  
三十三日10月1日夜 ○金澤34日目中屋彦十郎方@ 10月2日夜
     石川縣廰アリ名古屋鎮臺兵分營アリ

RP-16 同上(野々市→湯ノ尾)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(10/20←10/2)

巡幸の図(明治天皇北陸巡幸誌P48-49) 天皇は日章旗の

後の駕籠に乗っており、馬車は空で手取川を渡ろうとしている。

 

RP-16
三十四日10月2日夜 御駐輦二日
35日目
中屋彦十郎方A
10月3日夜 10月4日朝
三十五日10月3日夜 36日目中屋彦十郎方B 10月4日夜 10月5日朝
  野々市  
  ( 松任 10月5日昼
  柏野  
     手取川舟渡シ【下図参照】
  粟生  
  寺井  
     九谷燒陶器名産 安宅川
三十六日10月4日夜 ○小松37日目本蓮寺 10月5日夜 10月6日朝
  月津  
  動橋  
     山中ニ温泉アリ
  作見  
  ( 大聖寺 10月6日昼
     大聖寺川アリ 加賀絹名産
  立花  
  細呂木  
三十七日10月5日夜 ○丸岡38日目平章小学校 10月6日夜 10月7日朝
     九頭龍川舟橋アリ 長百二十間
     加賀越前國界
  長崎  
  舟橋  
三十八日10月6日夜 ( ○h39日目東本願寺別院 10月7日昼 10月7日夜

10月8日朝

     足羽川アリ 橋八十八間 半ハ石 半ハ木
  淺水  
  上鯖江  
     日野川アリ
  ( 武生 10月8日昼
  四郎丸  
  脇本  
  鯖波  
  湯ノ尾  
     湯ノ尾峠アリ

SP-17 同上(今庄→京都→石部)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(10/20←10/2)

SP-17
三十九日10月7日夜 ○今庄40日目後藤覚左衛門方 10月8日夜 10月9日朝
  板取  
  二ツ屋 10月9日昼
  桑原  
四十日10月8日夜 ○敦賀41日目三井銀行支店 10月9日夜 10月10日朝
  再 桑原  
  中河内  
  椿坂  
     越近國界
  ( 柳ヶ瀬 10月10日昼
四十一日10月9日夜 ○木ノ本42日目浄信寺 10月10日夜 10月11日朝
  速水  
  ( 長濱 10月11日昼
     仲仙道
  鳥居本  
四十二日10月10日夜 ○高宮43日円照寺❶往路 10月11日夜 10月12日朝
  越智川  
  ( 武佐 10月12日昼
  守山  
四十三日10月11日夜 ○草津44日目田中森之助方❶往路 10月12日夜 10月13日朝
四十四日10月12日夜 ( ○大津 
45日目
滋賀県師範学校@
10月13日昼 10月13日夜

10月14日朝

四十五日10月13日夜 御駐輦一日

46日目
滋賀県師範学校A
10月14日夜 10月15日朝
四十六日10月14日夜 47日目京都御所@ 10月15日夜 10月16日朝
当初からこのあたりで日程遅れが出た場合の調整する予備日を考えていたと思われる。

四十七日
10月15日夜
京都 48日  これ以降大幅に変更(三重県でチフス発生による行程変更)

京都 48日目

京都御所A

御駐輦追加⑴

10月16日夜 10月17日朝
   從是東海道  
  ( 草津  
  石部  

㉑P-18 同上(水口→前ヶ須)   

 ↓ルート変更後の順路及び日程

(愛知縣岐阜縣愛知縣)⇒(滋賀縣岐阜縣愛知縣) 

出典:岐阜縣版 和本 【原本 筆者所蔵】

・・御道筋御日割共御都合ニ付御改定相成リ来ル廿二日滋賀縣下近江國坂田郡

長久寺村ヨリ岐阜縣不破郡今津村・・大垣町御泊廿三日岐阜御着廿四日同所

御駐輦廿五日岐阜御発輦・・・・   →詳細はB明治天皇の大垣行幸参照

 

↓変更された順路及び日程で編集済の冊子

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(11/5←10/21 10/20←10/2) 

㉑P-18
四十八日10月16日夜 ○水口 49日 京都 49日目
京都御所B

御駐輦追加⑵

10月17日夜 10月18日朝
  ( 土山

 
  鈴鹿山アリ

 近勢ノ國界

 
  坂ノ下

 
  筆捨山アリ  
四十九日10月17日夜 ○關 50日 京都 50日目
京都御所C

御駐輦追加⑶

10月18日夜 10月19日朝
  伊勢路  
  楠原  
  椋本  
  久保田  
五十日10月18日夜 ○津 51日 京都 51日目
京都御所D

御駐輦追加⑷

10月19日夜 10月20日朝
五十一日10月19日夜 三重縣廰アリ 御駐輦一日 52日

 
  三渡  
  ( 松阪 ( 大津 大津市 10月20日昼
  齋宮(伊勢神宮)

從是仲仙道

 
五十二日10月20日夜 ○山田 53日 ○草津 草津市

52日目田中森之助方❷復路

10月20日夜 10月21日朝
五十三日10月21日夜 御駐輦一日 54日

 
  齋宮(伊勢神宮)  
  ( 松阪 ( 武佐 近江八幡市 10月21日昼
  三渡

 
五十四日10月22日夜 ○津 55日 ○高宮 彦根市

53日目円照寺❷復路

10月21日夜 10月22日朝
  上野

 
  白子

 
  ( 神戸 ( 柏原 米原市 10月22日昼
     近美國界  
  東海道

今津 関ヶ原町

 
  四日市  
五十五日10月23日夜 ○桑名 56日 ○大垣 大垣市

54日目飯沼武右衛門方

10月22日 10月23日
  勢尾國界

 
  前ケ須  

㉒P-19 同上(福田→二川)  

 

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(11/5←10/21)

 

 

岐阜縣御巡幸誌(枠内は実際の日付を記載)

㉒P-19
  ( 福田

 
五十六日10月24日夜 ○名古屋 57日

 
五十七日10月25日夜  愛知縣廰アリ 御駐輦二日
 58日

 
五十八日10月26日夜  59日 

 
  清須

 
  ( 一ノ宮  
  尾美國界  
  笠松

 
  加納

 
    これ以降当初の行程に戻る  
五十九日10月27日夜

 

    
○岐阜 60日
当初予定経路の場合(糸魚川1日追加のため)
10月28日夜
( ○岐阜

55日目西本願寺別院@

10月23日昼夜
六十日10月28日夜  岐阜縣廰アリ 御駐輦一日
61日
御駐輦一日

56日目西本願寺別院A

10月24日夜 10月25日朝
  加納 加納  
  笠松 笠松  
     尾美國界  
  ( 一ノ宮 ( 一ノ宮 10月25日昼
  清須 清須  
六十一日10月29日夜 ○名古屋 62日 ○名古屋

57日目

東本願寺別院@

御駐輦二日追加

10月25日夜 10月26日朝
  58日目東本願寺別院A 10月26日夜
  59日目東本願寺別院B 10月27日夜 10月28日朝
  熱田 熱田  
  鳴海 鳴海  
     有松絞リ名産 
     尾三國界
  ( 知立 ( 知立 10月28日昼
六十二日10月30日夜
○岡崎 63日
○岡崎

60日目専福寺@

御駐輦一日追加

61日目専福寺A

10月28日夜

10月29日夜

10月30日朝

当初予定の日程62日 予定が1日延長した場合63日 実際の日数(何日目)61日目 実際の日程
    矢ハギ川  ↙↙
  藤川  
  ( 赤坂 10月30日昼
  御油  
六十三日10月31日夜 ○豊橋62日目悟真寺 10月30日夜 10月31日朝
     豊川
  二タ川
     三遠國界

 

㉓P-20 同上(白須賀→沼津)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(11/9←11/6 11/5←10/21)

㉓P-20
  白須賀  
  ( 荒井→新居に訂正 10月31日昼
     一里渡シ
  舞坂  
六十四日11月1日夜 ○濱松63日目第28国立銀行 10月31日夜 11月1日朝
     天龍川
  ( 見附 11月1日昼
  袋井  
六十五日11月2日夜 ○掛川64日目山崎千三郎方 11月1日夜 11月2日朝
  日坂  
     小夜中山
  金谷  
     大井川 遠駿國界
  ( 島田 11月2日昼
六十六日11月3日夜 ○藤枝65日目岡崎平四郎方 11月2日夜 11月3日朝
  岡部  
     宇部谷峠
  丸子  
     阿部川
六十七日11月4日夜 ( ○静岡66日目平尾清一郎方@ 11月3日昼 11月3日夜
11月4日朝
六十八日11月5日夜 御駐輦一日

67日目
平尾清一郎方A
11月4日昼 11月4日夜

11月5日朝

  江尻  
  ( 興津 11月5日昼
  由比  
六十九日11月6日夜 ○蒲原68日目谷伊兵衛方 11月5日夜 11月6日朝
     富士川
  吉原  
  ( 原 11月6日昼
  沼津  
     駿豆國界

㉔P-21 同上(三島→東京)  

日程 上段:昼(晝)  下段:夜

御輦の跡 御巡幸日割(11/9←11/6)

㉔P-21
七十日11月7日夜 ○三島69日目世古六大夫方 11月6日夜 11月7日朝
     豆相國界
  ( 箱根 11月7日昼
七十一日11月8日夜 ○小田原70日目片岡永左衛門方 11月7日夜 11月8日朝
     酒匂川
  ( 大磯 11月8日昼
  平塚  
     馬入川
七十二日11月9日夜 ○藤澤71日目清浄光寺 11月8日夜 11月9日朝
  戸塚  
     相武國界
  保戸ヶ谷  
  ( 神奈川 11月9日昼
神奈川停車場−新橋(鉄道)
当初予定の日程73日
七十三日
11月10日夜
実際の日数(何日目)
東京御着輦(東京還幸)72日目
実際の日程
11月9日夜
  從 東京 至 浦和  6里4丁2間
  從 浦和 至 前橋  24里28丁
  從 前橋 至 長野  34里4丁
  從 長野 至 高田  15里19丁
  從 高田 至 新潟  32里35丁
  從 新潟 至 新發田通リ長岡ヲ經テ柏崎ニ至ル 45里28丁
  柏崎ヨリ御昇路高田ニ至ル 12里4丁
  從 高田 至 金澤 53里
  從 金澤 至 敦賀 37里32丁
  從 敦賀 至 京都 26里11丁

【東京御着輦(還幸)の期日】    

明治11年11月9日還幸  出典:山形縣版 和本

【東京御着輦(還幸)の期日】 天皇の乗輿が到着する期日

 來ル九日

 還幸被 爲在候條此旨布告候事

   明治十一年十一月六日 太政大臣 三條實美

 

  →明治11年(1878)11月9日に東京に到着

 

表紙へ  【A巡幸(実際の全ルート)】ご一読お疲れさまでした。