C明治天皇行在所跡(大垣本陣跡)

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C明治天皇行在所あんざいしょ跡(大垣本陣跡) 更新:2020/11/16
〒503-0878 岐阜県大垣市竹島町39番地

☎0584-78-5353(美濃路大垣宿本陣跡 竹島会館)     ☎0584-81-4111(大垣市役所商工観光課)


ご注意:地元町内(竹島町)で運営されており、土日のみオープンしているが、コロナ禍のため開館状況は要確認。
大垣宿は、江戸時代を通じて、本陣、脇本陣、問屋場、旅籠屋、商家
などが軒を連ねる活気ある宿場町で、竹島町に本陣、本町に脇本陣
が1軒ずつありました。      


大垣市内地図 大垣宿本陣跡



史蹟 明治天皇行在所跡




大垣宿本陣の歴史




大垣商業学校発行絵葉書から


大垣宿本陣の歴史
永禄年間 1558〜1569 沼波玄古が竹島町を開き、のちに本陣を創立する。
元禄5年 1692 川島火事により本陣建物を消失する。(その後、再興)
宝暦5年 1755 玉屋岡田藤兵衛が本陣役となる。
天保14年 1843 竹島町年寄の飯沼定九郎(長矩)が本陣役となる。
弘化4年 1847 飯沼氏が藩主に本陣改築を願い出る。
嘉永3年 1850 藩主より本陣改築の許可がおりる。
明治3年 1870 民部省布告により本陣廃止。本陣役も消滅する。
明治5年 1872 郷学校第二校の校舎として建物の一部が提供される。
明治6年 1873 興文第二義校の校舎に利用される。
明治10年 1877 興文第二義校の移転により、旅館として経営される。
明治11年 1878 明治天皇が北陸・東海を巡幸した帰途に、大垣を来訪し行在所(あんざいしょ)となる。
明治14年 1881 伊勢大神宮御分霊が宿泊する。
明治24年 1891 濃尾震災が起こるも被害が少なく旅人宿を再開する。
大正4年 1915 市立大垣幼稚園が開園する。
大正9年 1920 飯沼氏が同市田町に移る。(以後所有者が変更)
・・・・・・ ・・・・・・ 荒廃が進み、敷地東を占めた住居、台所部分、表座敷部分が失われる。
昭和20年 1945 大垣市図書館が旧本陣(当所)へ移転する。
昭和31年 1956 結婚相談室、結婚式場、披露宴会場を備えた木造平屋の建物を新造する。
昭和33年 1958 大垣市指定史跡となる。(「明治天皇行在所跡」
昭和34年 1959 上段の間入側を一旦解体して、二階を増築する。

※入側:書院造りで、濡れ縁と座敷の間にある1間幅の通路。畳敷きとした場合は縁座敷とも言う。
平成24年 2012 改修工事。史跡の名称を「大垣宿本陣跡附明治天皇行在所跡」に変更する。
平成25年 2013 「美濃路大垣宿本陣跡」として開設する。
大垣宿本陣の模型(内部展示)



大垣本陣と旅籠清貞の模型



大垣本陣正面(南面)




大垣本陣(東面)



大垣本陣裏面(北面)
大垣宿本陣の上段の間(明治天皇が宿泊された座敷)



明治天皇行在所跡 案内板




長押(なげし)の菊のご紋章(上段の間)



明治天皇が宿泊された上段の間(再現)
宮内庁所蔵の写真には上段の間には
絨毯、机、椅子が備えられている。
下の写真参照



今回の御行幸は、26歳ということから、

この御真影はもっと後のものであろう。


明治天皇ご宿泊時1878年の上段の間
和室に絨毯、机、椅子・・・
大垣行在所並献上品写真  5枚目/17枚
きれいな写真は上記クリック(宮内庁書陵部図書寮文庫蔵)



明治天皇行在所玉座敷
(「岐阜縣御巡幸誌」大正14年 1925)
撮影時期不明(大正?)

 天皇が宿泊した座敷は、以後聖なる空間とされ、床の

間に天皇の写真を安置し、酒と食べ物が供えられた。

 座敷の四隅には、大正の終わり頃までしめ縄が張られ

家人たりともみだりに入ることは禁じられていた。

 新築までした他の行在所もあるようだが、急きょ大垣に

宿泊が決まった大垣宿本陣は、時間的に余裕があるは

ずもなく一部の修理をして乗り切った。


大垣行在所並献上品写真  11枚目/17枚
 
きれいな写真は上記クリック(宮内庁書陵部図書寮文庫蔵)

当WEB管理者から:11枚目/17枚の板の間の写真を

見ると昭和30年頃?もあったような気がします。よく

 遊びに行ったものだが、裏(北側)は庭に面した板の間

でバレイ教室が開催されていた。図書館は知らない。

裏に大木はあった気がする。表から外回りで裏へ

回れた気がする。
  

平面図(当時のものを再現:模型)

現在は、改築された大垣本陣跡の一区画に、明治天皇が

宿泊された上段の間が再現されています。(赤線区画


平面図(当時のもの)
 
その他の館内展示物【ユネスコ登録関連】
@ユネスコ無形文化遺産(「大垣祭の軕行事」を含む「山・鉾・屋台行事」)

 「大垣祭の軕行事」を含む「山・鉾・屋台行事」について、

「大垣祭の軕行事」は、全国32件の祭礼行事とともに、「山・

鉾・屋台行事」
として、ユネスコ無形文化遺産に登録されま

した。


◎大垣城下の祭礼 大垣まつりと竹島町

「大垣まつりの軕(やま)行事」として国重要無形文化財に

指定された大垣まつりは毎年5月に行われる八幡神社の例大祭

です。360年余の伝統を誇り、13両の軕が大垣城下を巡行

します。
竹島町には、かつて朝鮮通信使の行列を模したとされ

る「朝鮮山車」がありましたが、明治以降は「榊軕」となって

います。本施設では榊軕に関する古い資料などを展示しています。





榊軕(さかきやま)  竹島町 


  神官(しんかん)   天鈿女命(あめのうずめのみこと)

【ユネスコ登録関連1】



ユネスコ無形文化遺産




文化庁証明書
A朝鮮通信使に関する記録

 
朝鮮通信使宿泊の地

 
朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて朝鮮王朝が日本に

派遣した外交使節であり、日韓の平和構築と文化交流の歴史として、

貴重な記録が残っています。下記のルートは江戸時代のものです。

 平成28年3月に日韓の団体が共同で申請を行い、平成29年(2017)

10月30日(日本時間10月31日)にユネスコ「世界の記憶」に登録さ

れました。       
    
【ユネスコ登録関連2】





その他 本陣跡敷地内神社について
  

 当WEB管理者から:大垣本陣跡を訪れた観光客が、神社の

赤い鳥居と神社本体
の写真をブログ等に収めているが、本陣と

の関係はあるのかな? 前はここになかったような気がしたが。

 写真映えが良いから、本陣跡の記念撮影の一つにに取り上げ

られているようだが、誤解を与えているかもしれない。

 でも、いろいろあるようなので、これ以上触れない事とする。



本陣前の鳥居

表紙へ  【C明治天皇行在所跡(大垣本陣跡)】ご一読お疲れさまでした。